- 作者: 藤村由加
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1992/11
- メディア: 文庫
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なかなかのトンデモ本だった.そもそも古代朝鮮語が解明されていないので,現在の朝鮮語の知識を用いて解いても意味ないよという話は聞いていたのだけども,それ以前に論理の飛躍がすごすぎ.
前半部分では,枕詞には意味が不詳であるのはおかしいということで,朝鮮語を使って読み解こうとしている.そこで,枕詞=被枕詞(枕詞がかかる語)というルールを提唱している....いや,枕詞=被枕詞ならどっちか意味ないのと同じなんじゃないのという気がするのだが...で,例としてでてくるのが,「あしひき(足引,足曳)」という「山」にかかる枕詞.足を引っ張った形が「∧」の形になっているので「足引」=「山」という関係になる....無理矢理すぎる...それだけではなく,「足」は朝鮮語で「タリ」と発音し,「引く」も古代朝鮮語で「タリ」と発音し,山も古代朝鮮語で「達(タル)」と発音したのだからこれで決まりだと....発音が同じで何の意味があるんだろ?...この時点でもう枕詞=被枕詞(枕詞がかかる語)の定理が証明されたらく.以降はこのルールを前提に枕詞を読み解いていっている.次の例は「母」にかかる「たらちね(足乳根,垂乳根)」なんだけども,これは「タラ」→「達(タル)」→(達は山を意味し,山はモイという発音例がある)→「山(モイ)」→「毎(モイ)」→(漢字の一部が母)→「母」ともはや連想ゲームのレベルです.こんなレベルの連想がずっと続いている
後半部分は人麻呂の歌に隠された暗号を見つけるという話.暗号に何が書かれているかというと朝廷に対する批判らしい.どうして暗号が隠されていると分かるのかというと,「やまとことば」で読むと非常にシンプルな歌になり,歌聖と呼ばれる人麻呂がこんなシンプルな歌を詠むはずがないというなんとも主観的な理由.中には「やまとことば」だと意味が通らないと主張していたりするのだが,意味が通らないと怪しがられて暗号がばれてしまうんじゃないか?
この本はベストセラーになって学者から反論本とかも出たらしい.朝鮮語や漢語との関わりを考えるべきだと言う新しい発想をもたらしたからその点は評価すべきという意見も見たことがあるのだが,ここなどを見ると他言語の影響を訴えた人というのは別に初めてというわけでもないし,いくら新しい発想をもたらしても中身がデタラメじゃあ元も子もない.学者さんたちにとっては悪い影響しか与えなかったし,迷惑だったのだろうなと思う.