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コーランには本当は何が書かれていたか?

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コーランには本当は何が書かれていたか?

コーランには本当は何が書かれていたか?

世俗主義者のジャーナリスト、カーラ・パワー(著者)が、イスラム学者モハンマド・アクラム・ナドウィーからコーランを学んでいくという話。アクラムはコーランを忠実に受け取る原理主義者である。しかし、コーランに書かれていることは、反イスラム主義者が指摘するような過激なものだったり、女性差別的なものではなかった。例えば、女性がヴェールをかぶらないといけないというようなことはコーランには書かれていなく、それらはムハンマド以後のイスラム法成立の過程でその地方の習俗が取り入れられてしまったからだと言う。同様に女性に教育は教育を受けてはならないというようなことは何も書かれておらず、アクラムは娘達の教育に熱心である。

カーラとアクラムはこのように幾つかの点で合意し、イスラムに対する誤解を解いていくのだが、それでも全ての溝が埋まるわけではない。1つはムハンマドの妻でもあるアイーシャに象徴される未成年の女性との結婚である。アクラムは最初は同意があれば問題ないと譲らなかったが、生徒から説得され考えを変える。しかし、よりコーランに近い部分になると頑なになっているようで考えを変えない。例えば、同性愛は許容していない。イスラムにおいて結婚は子育ての意味合いが強いため同性愛を正常なものと見れないようだ。

また、これはアクラムに特有の考え方ではないかと思うが、彼は政治に無関心であるようだ。政府や世の中に対して、不正が行われていても正義のために戦うのではなく何もすべきではないと主張している。これは一つの考え方ではあるが、実際に不正の被害者にとってはとんでもない話だろうし納得しないだろう。ただ、アクラムのこの考え方が現世に対する相対的な無関心から出ているような気がする。イスラムにとって現世よりも来世を重要視していて、現世はそこへの通過点程度に見ている。人は死んだ後に神によって裁かれ、正しい者は天国に行くが、間違ったものは地獄の炎で焼かれる。現世の問題に関心がないわけではないのだろうが、死んだ後のことの方が重要で、不正を行っているものもその時に裁かれるということだろう。来世を信じない人間から見るとまったく無意味な議論であり、現世を疎かにしてしまうという点では迷惑な考え方である。

自分もこの本を読んでイスラム教に対する偏見もいくつか減ったと思うが、カーラとアクラムの間にまだまだ溝があるように、自分とイスラム教との溝は埋まっていない。カーラほどオリエンタリズムに共感的ではないし、カーラ以上の世俗主義者であるだろうから、もっと溝は大きいのだろうな。