- 作者: スティーブン・R.バウン,中村哲也,Stephen R. Bown,小林政子
- 出版社/メーカー: 国書刊行会
- 発売日: 2014/08/27
- メディア: 単行本
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壊血病の話はジェームズ・リンドの実験が有名なんだが、リンド以前はどうだったのか、リンド以降はすぐに受け入れられたのかというのを良く知らなかったので読んでみた。
リンド以前にも壊血病の治療方法を知っている人たちはいた。歴史上初めて出てくるのは、1535年とリンドの実験の200年も前である。セントローレンス川を航行中のジャック・カルティエ達は壊血病にかかるも原住民であるイロコイ族にスギの枝の煎じ汁を飲ませてもらうことにより回復する。
その後、17世紀初頭になるとイギリス商船ではレモンを壊血病の予防・治療薬に用いることになっていた。しかし、1630年代になると壊血病の治療薬はタマリンドや濃硫酸などになる。なぜそうなったのかは不明であるが、柑橘類はイギリスでは育たずスペインやその同盟国で育つ。そのため、手に入れるのが難しく高価だったためかもしれない。そのまま壊血病の治療法は謎に包まれることになる。
そして1747年、有名なリンドの実験が行われる。これは医学史上初めて臨床栄養学的に管理された実験と言われている。これによりオレンジとレモンが壊血病の特効薬になることが判明した。しかし、壊血病の原因まではわからず、当時の主流の学説を用いて説明しようとしたため、非常に曖昧で不明確なものになってしまった。また、当時の帆船にレモンを大量に積むのは難しいため、加熱し濃縮することで持ち運びと保存に適したロブというものにする方法を考案した。しかし、実際には加熱によりアスコルビン酸は壊れてしまい効果は小さくなってしまった。
次に柑橘類の効果をテストしたのはオーストラリア大陸を発見したジェームズ・クックだった。当時は有力な医師であるジョン・プリングルが抗壊血病薬として麦芽汁を推奨しており、イギリス海軍は麦芽汁の効能をテストしたかったため、クックに調査を命じた。クックは麦芽汁や柑橘類のロブなど抗壊血病薬と考えられるものを積み、航海中にそれらを試した。その結果、壊血病での死者はでなかった。しかし、クックの報告書は不明確で矛盾している部分があり、明確にどの抗壊血病薬が有効なのかわからなかったため、海軍ではそのまま麦芽汁が抗壊血病薬として利用されることになった。クックは身分が低く医学者でもなかったため、当時の医学界とぶつかることを嫌い意図的に曖昧にしたのかもしれないと著者は指摘する。
最後に柑橘類の効果を確かめ、海軍へ配給するように説得したのはギルバート・ブレーンだった。彼は社会的に高い身分の人物であり、アメリカ独立戦争時の西インドへ派遣する艦隊の船医となった。彼はリンドの著書を読み壊血病にはレモンとオレンジが効くと考え艦隊にそれらを積み込むようにした。その結果壊血病での死者数を抑えることができた。この結果を用いて最終的に海軍を説得することができたが、それはリンドが実験を行ってから40年以上経過した1795年のことだった。