てきとうなメモ

本の感想とか技術メモとか

最近の日本史

山川の詳説日本史研究に書かれてあることとちょっと違うのでメモ.

魏志倭人伝

魏志倭人伝」は存在しない:三国志の一書である魏書に「倭人の条」があるだけで、「倭人伝」という書物はない。その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、信頼性は低い。

魏志倭人伝と表記されており,「正確には『三国志』の『魏書』の『烏丸鮮卑東夷伝』の倭人の条のことであり,倭人の記載だけで一伝が立っているわけではない.『三国志』は西晋陳寿が三世紀後半に記したもの」と書かれている.後代になって書かれたとは書いていない.

任那日本府

任那日本府」は存在しなかった:4世紀ごろ、朝鮮半島の南部に加耶と呼ばれる小国の連合があったが、任那という統一国家はなく、日本の植民地でもなかった。これは『日本書紀』の誤った記述。

これは正しい.

仁徳天皇陵

世界最大の墓は「仁徳天皇陵」ではない:堺市にある大仙陵古墳は、つくられた時期が仁徳天皇の在位期間と違うので、彼の墓ではありえない。被葬者が大王(おおきみ)であることは確実だが、内部調査が許されないので誰かわからない。

これも正しい.

聖徳太子

聖徳太子」は架空の人物:厩戸王という推古天皇の甥が、氏寺として斑鳩寺(のちの法隆寺)を建立したことは事実だが、彼は「皇太子」でも「摂政」でもなかった(そういう地位は当時まだなかった)。十七条の憲法をつくり、『三経義疏』を著して仏教を日本に導入した聖徳太子というのは、厩戸王の死後に成立した「太子信仰」の一種で、『日本書紀』が複数の人の業績を合成してつくった架空の理想的知識人である。紙幣に使われた有名な肖像画も、彼の肖像かどうかわからないので本書には出ていない。

「「皇太子」でも「摂政」でもなかった」は正しい.十七条の憲法については誰が制定したかは記述されていない.「厩戸王は『三経義疏』を著したと伝えられる」と書かれてある.「推古朝の諸政策に厩戸王どれほど主体的に参与していたかは,議論が分かれる」と書かれてあり,聖徳太子虚構説を肯定しているとは受け取れない.肖像画については見当たらない.

大化の改新

大化の改新」は存在しなかった:645年に、中大兄皇子らが蘇我入鹿(厩戸王の家系)を謀殺する政変(乙巳の変)が起こった。しかし「改新の詔」というのは『日本書紀』に書かれているだけで、そういう改革が行なわれた証拠はない。「万世一系」というのは神話で、このように古代には複数の王家が権力抗争を繰り返していた。

大化改新」という節で記述.「改新の詔の信憑性についてはさまざまな論議が起こっている」と中立的な立場.「大化改新否定説」を紹介する部分では「『日本書紀』の記事の年紀には疑問があっても,その史実性までは否定することができない事実も存在する」と書いている.

天皇の名称

天武天皇以前に「天皇」はいなかった:私的な家長の名称である大王が「天皇」と呼ばれるようになったのは、従来は推古朝(6世紀末)とされていたが、その根拠は疑わしい。唐をまねて天皇という称号を使うようになった最古の記録は677年、天武天皇の時代の木簡である。

これは正しい.

それなりに証拠がある説については記述されているけど,証拠が決定的ではなく議論が分かれている部分については中立的に書かれてあるように思う.