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経済学という教養

経済学という教養 (ちくま文庫)

経済学という教養 (ちくま文庫)

人文系の視点から書かれた経済学の入門書.経済学の本はあまり読んだことがなかったので買ってみた.

著者は経済学の立場を以下の4種類に分類している.

不況下で市場の調整機能が働くか 物価を測る尺度 流動性選好の原因
古典的ミクロ経済学
ニューケイジアンI × 賃金
ニューケイジアンII × 貨幣 魅力的なモノがない
ニューケイジアンIII × 貨幣 将来の不安など不確実性から身を守るため

本書の後半では,ニューケイジアンIとIIを実物的ケイジアン,ニューケイジアンIIIを貨幣的ケイジアンとして記述しており,著者は貨幣的ケイジアンの立場に共感し,実物的ケイジアンを批判している.のだけども,IとIIは結構立場が違うので一緒くたに批判しても無理矢理な感じがする.

で,実物的ケイジアンと構造改革主義者は重なることが多いらしく,構造改革主義者も批判している.頭に残っているのは,構造改革主義者のモラリズムに対する批判なんだけども,要するに個人の努力が足りないために経済が悪くなるという考え方はそもそも不況下の流動性選好は個人の努力は関係なくを起こるため個人の責任にするのは良くないということらしい.でも,誰が個人の責任にしていたのか明示していないので誰に対する批判なのかよくわからなかった.あとがきを読むと小泉元総理と竹中元大臣が一番批判したかったらしいのだけども,そんなこと言っていたっけ?本文の方に名前が出ているのは金子勝だけで,でも,この人は一般人にとって構造改革主義者ではないので,構造改革を推し進めている人に取っては痛くも痒くもないような気がする.

そもそも,構造改革を批判したいのならば何故構造改革では経済がよくならないのかということを主張すればいいのであって,モラリズムだとかいうのは「枝葉」の話だよなあ.貨幣的ケイジアンの考え方自体には自分も共感するのだが,他の立場も同様に共感できる部分がある.で,本書を読んだだけでは他の経済学の立場が駄目な理由がよくわからなかった.